Non-profit Organization I'M MATSUYAMA

◇最新情報
第16期 決算報告書を公開しました。


『日本少年』重見周吉の世界展

2017年は夏目漱石生誕150年の年、春には「子規・漱石を未来につなごうプロジェクト」参加イベントとして「夏目漱石翻訳書展」を子規記念博物館で開催した。そして秋、その第二弾として「『日本少年』重見周吉の世界展」を2017年11月1日から20日まで、坂の上の雲ミュージアムにて開催した。
併催として11月3日13時30分~15時、本展覧会場にて、北垣宗治同志社大学名誉教授をお招きし「重見周吉のことども」と題した記念講演会を行なった。同講演会は全て愛媛CATVにより収録放映された。京都から日帰りで来松された先生には、会場のみならず道中においてさえ教え子をはじめ複数の人が訪ねられるのを目の当たりにし、あらためて北垣先生のご人徳に感心した一日ともなった。
展覧会の概要は以下のとおりである。
重見周吉は明治維新の3年前、愛媛県今治に商家の平民として生まれた。漱石、子規の3歳年上、秋山兄弟とも同時代に生きた人物である。本展覧会ではまず、ゼロの状態から約20年にわたり解明してきた重見周吉の人物像と、漱石研究という観点から重見がなぜ漱石とライバル関係にあったのかについてを柱の一つとし、次に重見の英文著書『日本少年』の舞台今治とその周辺が作品にどのように描写されているかをもう一つの柱とした。
前者では、漱石・子規はもとより、坂の上の雲を目指して愛媛から日本を飛び立った軍人秋山兄弟、実業家を目指した冒険家和田重次郎、反戦思想家水野広徳、そして英語を習得して私費留学を果たした上に博士号と医師免許まで取得した重見周吉が同時代人であることを確認し、後者では自著『日本少年』で重見が明治の日本の地方都市愛媛県今治の風土、生活、庶民をして欧米人に「日本」を紹介していることを検証する。
そして当時極東の島国日本を知る術の殆どなかった北米現地に赴き現地の言語である英語を使って執筆した同書出版の意義を、郷土から再確認し検証することを目的とする。

内容は次のとおりである。
展示パネル第1部:
(1)挨拶文5種(愛媛県知事、松山市長、今治市長、元倫敦漱石記念館長、主催者NPO法人アイムまつやま理事長)
(2)原書発見のきっかけとなった倫敦漱石記念館写真パネル(翻訳書展より二次使用)
(3)国境を超えロンドン、松山、オレゴンを繋ぐ漱石を介した交流
(4)今治教会と同志社をめぐる人脈の検証、出身小学校の歴史図
(5)渡航記録、イェール大学選択をめぐる考察
(6)同志社大学新島襄資料館所蔵のイェール大学長から新島襄宛書簡、池袋清風日記、
(7)東京慈恵会医科大学医学情報センター資料(本展直前新発見写真を含む)
(8)学習院教授職応募履歴書、授業時間割、
(9)イェール大学重見ファイル中、重見基金などの発見資料、コネチカット州歴史博物館発見資料、Obituary
(10)同医学部歴史図書館で発見した博士論文とその冒頭解説写真
(11)今治周辺関連地図、イェール大学を示す北米地図、東京関連地図、青山霊園パネル
(12)青山霊園の墓、イェール大学重見ファイルから発見した最初期の写真と近年の写真

ファイル資料:パネルに載りきらない資料をファイルし、パネルの前に設置した
(1)夏目漱石と重見周吉とのライバル関係を示す根拠となる『私の個人主義』本文の該当ページ
(2)東京慈恵会医科大学八十五年史、百年史資料
(3)輔仁会雑誌重見の掲載記事4本
(4)重見周吉研究を開始して以来報道された各種新聞記事(愛媛、毎日、朝日)
(5)同月愛媛県美術館にて県の主催で開催中の学習院中興の祖安倍能成展パンフレット
また、県文化振興財団機関紙「文化愛媛」に寄稿した関連記事、愛媛大学法文学部同窓会報に寄稿した英学史研究掲載論文紹介、「松山百点」誌を資料コーナに置いた

展示ケース:
(1)ロンドンの古書店で発見され購入した原書
(2)同志社教会会員名簿(創立120周年記念)(北垣先生私物)
(3)『私の個人主義』日本語:岩波書店版、英語:Sammy Tsunematsu氏訳
(4)漱石の曾孫Ken McClain氏よりいただいた書簡
(5)今治教会第3代牧師露無文治自筆安息日学校名簿
(6)イェール大学医学部医学歴史図書館パンフレット、仙遊寺パンフレット など

展示パネル第2部:
(1)『日本少年』”A Japanese Boy by Himself” の内容を、章毎に実際に描写されている今治とその周辺の現在の姿とを撮り溜めた写真と共に照らし合わせながら紹介
(2)関連する同時代人の比較年表パネル
(3)同時代のアラスカ、カナダ開拓者和田重次郎パネル(協働部分)

モニター映像大小2基:
南海放送ニュースChannel4ミニドキュメンタリー映像(約5分)、「今治明徳学園創立100周年記念制作番組(約37分)のビデオ資料上映[予備として今治CATV講演録画番組「ミテミトン」(約1時間)]

・事前関連事業として、10月28日坂の上の雲ミュージアム主催により、ミュージアム講座にて菅紀子が「重見周吉と夏目漱石」と題して講演を行なった
・ 関連事業として、11月5日本展覧会場にて「声に出して味わう子規・漱石 子規・漱石生誕150年記念朗読会」を行なった。朗読作品にまつわる自筆原稿や作品場面の写真をプロジェクターで投影し大変充実した催しとなった。朗読者は福田雅世(朗読者)、寺門充(編集者、元朝日新聞記者)、菅紀子(通訳・翻訳者)プロジェクター投影と解説岡敦司(愛媛新聞記者)
・協力イベントとして11月18日本展覧会場にて、同郷、同時代人で重見と同じく北米に渡った和田重次郎国際シンポジウム(ラジオ公開生放送)を行なった

企画書


夏目漱石翻訳書展

愛媛県松山市は、夏目漱石が明治28年から29年までの一年間、松山尋常中学で英語教師として住んだ都市であるとともに、漱石の親友正岡子規の生誕地でもある。そして漱石と子規は慶応3年生まれの同い年である。漱石没後100周年にあたる2016年には、漱石没後100周年を大会テーマとして第53回日本英学史学会年次大会を松山大学樋又キャンパスにおいて開催した。(大会会長には新井英夫先生にお願いし、筆者は大会実行委員長を務めた)翌2017年度、松山市は「子規・漱石生誕150年」にあたり記念の取り組みを行なっており、「子規・漱石を未来につなごうプロジェクト」と題して参加企業、団体を募った。
そこで筆者は同プロジェクトに登録し、4月28日から5月14日まで、松山市道後にある松山市立子規記念博物館ロビーにおいて、夏目漱石翻訳書展を開催した。展示の翻訳書は32年の歴史を閉じて閉館した倫敦漱石記念館館長恒松郁生氏のコレクションをお借りし、設営は熊本国際交流事業団の主催により開催された漱石翻訳書展を叩き台とさせていただいた。
パネル制作は日英バイリンガル表示とした。また内容は松山開催に独自性を持たせるべく『坊つちやん』のコレクションを充実させた。漱石作品の翻訳の中でも『坊つちやん』は英訳書だけでも破格に種類が多い。筆者は2002年漱石のクラパムコモンの下宿が史跡認定されたBlue Plaque除幕式に参加するとともに、漱石の長女筆子の娘である松岡マックレイン陽子氏とも交流を深めたが、それらは漱石のロンドン5番目の下宿の真向いに倫敦漱石記念館を開館されていた恒松元館長の働きかけのお陰であった。しかも稀少な言語も含む翻訳書コレクションは、元々倫敦漱石記念館に展示されていたものである。そこで閉館した記念館へのオマージュも込めてパネルには漱石クラパムコモンの下宿と記念館を紹介する内容を盛り込んだ。
企画は想定以上に大掛かりとなり、松山市教育長が正式挨拶、筆者も主催者スピーチをする開展式までおこなった。しかしなにより報われたのは、世界各国語に訳された漱石作品を前に展観者に思い思いの関心をもっていただけたことである。
また、会期中、南海放送の協力により、会場奥にある子規記念博物館会議室において、恒松氏、筆者、司会アナウンサーの3人により90分にわたる公開生放送ラジオシンポジウムも併催した。
この公開ラジオシンポの打合せをしていた際、倫敦漱石記念館に触れると、恒松元館長はトークに矛盾があってはいけないのでまだ非公開ですが、と倫敦漱石記念館再開の情報を漏らされたのである。実は閉館の後、資料閲覧などを求める声が絶たず、それらの声に個別に対応するのが大変なことを悟り、事前予約に限り自宅で再開することとなった。
共同通信がこのニュースを流したのはその数日後の展覧会期中であった。大型連休でニュースが品薄になったタイミングを見計らい、狙い通り連休中に発表すると、愛媛、熊本の地方紙を含む新聞各社が記事を載せた。
松山市役所、文化・ことば課(全国でも珍しい課である)のホームページには当プロジェクト報告が掲載されている。

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